生きづらさから自由に──『人生は起こっているだけ』という考え方
「私が選んだ人生なのに、なんでこんなに苦しいんだろう」
「これも自分の選択だったはずなのに、うまくいかない…」
そんなふうに、自分の「選択」を疑いたくなることってありませんか?
過去の選択が頭から離れずに、「これで正しいの?」「もっといい選択肢があったんじゃないか」と、心の中で自分を責めるようなこと。
もし今、少しでも生きづらさを感じているなら。
心がふっと軽くなるかもしれない、そんな考え方をひとつご紹介します。
人生の選択は本当に自分で決めているの?

そもそも、の話ですが、私たちは自然に「私が選択している」と思っていますが、それって本当なのでしょうか?
「私が選んだはずなのに苦しい」と感じるとき
人生の岐路で「自分で選んだのだから頑張らなきゃ」と思い込むほど、現実が理想とずれると強い苦しさを感じますよね。
その背景には「選択=自己責任」という固定観念があります。
けれど本当にすべてを自分が決めているのか――その問いが、心を自由にする入り口になります。
生きづらさを軽くする新しい視点とは
その考え方は、ちょっと変わっていて、不思議な響きを持っていました。
でも、どこか心の奥にスッと入ってくるものがあったんです。
それは、「私たちは、選んでいるつもりなだけで、実は人生はただ“起こっている”だけ」という考え方です。
最初にこの言葉を聞いたときは、「え?それって人生がつまらなくならない?」と、驚きました。
自分で選ぶからこそ、喜びや達成感があるのでは?と。
でも、よくよく自分の過去を振り返ってみると、「自分で選んだ」と思っていたことも、実はそのときたまたま流れでそうなっていた。
そのような出来事って確かに存在すると気づいたのです。
「選んできたはずの私」と「人生は起こっているだけ」という二つの視点

私はこれまでの人生を、自分なりに「こう生きよう」と選んできたつもりです。
その選択の積み重ねが、今の人生をつくっている。
そして「意志のあるところに道は通じる」と信じて進んできました。
だからこそ、「人生はただ起こっているだけ」「“私”というものは幻想だ」という考え方は、一見真逆のように思えました。
でも不思議と、「それもそうかもしれない」と自然に受け入れられる部分が私の中にあったのです。
私の視点から見れば、この2つの考え方は矛盾しているように感じます。
けれど、それは「私」という限られた視点から見ているからこそ矛盾に見えるだけで、もっと大きな視点から見れば、どちらも矛盾せずに共存できるのかもしれません。
そんなふうに思いながら、私は今、「私はいない」という考え方も、あえて「採用」しています。
自由意志は幻想?脳科学が示す「選んでいない私」

私たちは「自分の意志で選んで行動している」と信じています。
けれど脳科学の研究は、意識が決断を下す前にすでに脳が行動を準備していることを示しています。
リベット実験が明らかにした脳の先行動作
神経科学者のベンジャミン・リベットによる実験では、人が「これから手を動かそう」と意識するよりも前に、脳はすでに筋肉を動かす準備を始めているという結果が出ました。
つまり、「私が動かそう」と思う前に、身体はもう動く準備をしていたのです。
このことから、多くの科学者が「自由意志は幻想なのではないか」という問いを立てています。
思考は「遅れてやってくるナレーター」かもしれない
この現象を、もっとわかりやすくたとえるなら、思考は少し遅れてやってくる「ナレーター」のようなものです。
スポーツ中継で、実況アナウンサーの声がほんの少しだけ遅れて聞こえることがありますよね。
映像ではもうゴールが決まっているのに、「さあ、ここでシュートを打って…決まったー!」と解説が入るあの感じ。
それと同じように、私たちの思考も、実際の出来事や行動が起こったあとに、それに意味づけをして「これは自分が選んだことだ」と物語をつけているだけかもしれません。
人生はただ「起こっている」だけという考え方

「人生は自分が選んでコントロールしている」という感覚はとても自然なものです。
けれど視点を変えると、私たちが握りしめているハンドルは最初から存在していなかったのかもしれません。
そう思うことで、肩の力がふっと抜け、出来事をもっと自由に眺められるようになります。
選んできた実感と、流れにまかせる視点
「こうしなきゃ」「間違っちゃいけない」と、人生を「正しく」選び取ろうとするほど苦しさも増していきます。
けれど、実際には多くの出来事は自然な流れで起きてきたものかもしれません。
選んできた実感を大切にしつつも、「流れにまかせる」視点を持つと、心は少し軽くなります。
「私がコントロールしている」という思い込みから自由になる
「私」というコントローラーが最初から存在しなかったのかもしれない――そう考えると、人生を操縦しなきゃという思い込みから解放されます。
現実が思い通りにならなくても「なるようにしかならない」と眺められると、不思議と生きやすさが増していきます。
人生に意味を求めすぎない自由

人生に「意味」を見いだそうとしすぎると、「正しい答え」を探すことに疲れてしまうことがあります。
けれど、出来事をただ「起こっていること」として受け止めてみると、肩の力が抜けて、今の自分をそのまま受け入れやすくなります。
「無意味」ではなく「意味づけを超えた自由」
この考え方を信じてくださいとは言いません。
でも、もし今「自分の人生、このままでいいの?」と悩んでいる方がいたら――
「あなたが選んでいる」と思っていたものが、実は「ただ起こっている」だけだったとしたら?
ちょっとだけ見える景色が変わるかもしれません。
もしかしたら、私たちは「人生をコントロールする役割」を最初から持っていなかったのかもしれません。
そして、だからこそ、何かにならなくても、もうこのままで完璧なのかもしれません。
流れに身をまかせると心が軽くなる理由
人生が「起こっている」だけだとしたら、それはもう、誰かに操作されたものではなく、ただ自由に展開しているだけの、美しい流れです。
「どうしてこうなったんだろう」と悩む日があっても、「きっと、今はそういう流れなんだな」と思えるだけで、自分にやさしくなれる瞬間が増えていきます。
私もまだその途中ですが、この考え方に出会えたことは、人生をちょっと楽にしてくれました。
信じるのではなく「採用する」生き方

考え方は「正しいかどうか」で決めなくても大丈夫。
今の自分が少しでも楽になれるかどうか、その基準で選んでいいのです。
「正しさ」って一見するとすごくしっかりした軸に思えますが、よく考えると人によっても、国によっても、時代によっても「正しさ」の基準が変わります。
また、「信じる・信じない」よりも、「ちょっと取り入れてみようかな」と気軽に採用するほうが、心はずっと軽やかになります。
「これなら少し気持ちがやわらぐかも」と思えたら、それがあなたにとっての役立つ考え方。
合わないと感じたら、そっと手放してしまえばいいのです。
そんな軽やかな姿勢で、今回紹介した考え方もあなたの役に立ちそうなら採用してみてください。

